僕がヲタ芸を嫌いなわけ

ライブに行くと必ずといって良いほど目の当たりにしなければならないのが、
アイドル系のライブならヲタ芸
バンドもののライブならモッシュクラウドサーフだ。

僕はこのどちらも好きではない。
好きではないというより、大嫌いだ。

何故嫌いなのか、というと、
観客がアーティストのパフォーマンスを決まりきった型にハメ込むから。
簡単に言えば、観客側からの非常に一方的な行為だからだ。

例えばヲタ芸で言えば、PPPHというものがある。
曲のBメロで「パン・パパン・ひゅー!」と合いの手を入れる。

 パン ・    ・ パ  ・ パン ・ ひゅー
4部音符・八部休符・八部音符・四分音符・四分音符(←違ってたらすいません。理論苦手)
↑というリズム。

知り合いのコンポーザーさん曰く「フィル・スペクターリズム」らしいのだけど。
ヲタ達は、どのアイドルのどの曲でもPPPHをBメロにねじ込んでくる。

なんでそうなってしまうのか。
曲が違えば、歌メロも違うし、ドラムパターンも、ベースラインも、ギターのリフも、シンセのシーケンスも全て違う。
でも奴等は、Aというアイドルの○○という曲でも、Bというアイドルの●●という曲でも同じように合いの手をいれる。

ダイブやクラウドサーフにも似たものを感じる。
RIJFに今年初めて行って、Perfumeの時は必死だったから客観視できていなかったけど他のアーティストの出演時に遠巻きに眺めていると、上記のような行為がすぐに見受けられた。ノリの良い曲になると、一斉にそうだ。
初めて見た、(サークルモッシュというらしい)何人かで手を繋いで輪を作って(UFO呼ぶときみたいに)ステージの状況関係なしにグルグル凄い勢いで回っている輩達も沢山いた。

もちろん、それが盛り上がりの手段として存在しているのは知っている。
体を動かせば人間のテンションは上がるし、体温も上がる。アドレナリンが出て楽しい気分になる。
だが、僕にはそれは盛り上がりのレベルとして、あまりに拙く程度の低いものに思えてならない。

僕みたいな若輩の主観でしかないけれど、
ライブにおけるアーティストとオーディエンスの関係は、アーティストが人なら、オーディエンスはその掛け布団であるべきだと思う。

寝る時、人は布団が無ければその体から熱が奪われて、温かさを感じることはできない。
布団もただそこに置いてあるだけでは、それ自身では決して温度を上げることはない。

人にとって、「布団が温かい」のは、自分の熱が布団を温め、温められた布団が熱をキープし、それによって人はまた熱を発散し、また布団が温まり・・・という巡り巡る熱のリサイクルが行われるからだ。

ライブもそうだ。観客のいない所でライブをするアイドルは、アーティストはいない。
また、アクトのいないライブハウスで熱狂できる観客はいない。

ライブというのは、アクトのパフォーマンスという熱源があって始めて存在し、そしてそれを受けて、そのパフォーマンスに対してレスポンスする観客があって始めて成立する。その、いわば「コール&レスポンス」の相乗効果によってその場の空気がうねりをあげ、盛り上がり、熱狂を生むのだ。

誰かと誰かが対峙した時、お互いの関係が良いものになるとすれば、それは、お互いの意思がキャッチボールできる事が、大前提としてあるだろう。

友人関係も、スポーツのチームメイト同士も、恋人関係も、まずお互いの意思が伝わりあわなければ関係性は発展しない。
一方的な思いや行為の果てにあるのは、妬みや、恨みや、ストーカーや戦争くらいだろう。

かつてPerfumeのプロデューサーである中田ヤスタカ氏が、雑誌のインタビューか何かで、
「今の若者が、上の世代に対して『あいつら全然分かってねぇ』と言う時がありますけど、それは話をしていないだけなんだ」「伝える努力をしていないんだ」と語っていたのを覚えている。
彼はPerfumeの「ポリリズム」を仕上げた際に、本曲のポリリズム部分(所謂「ポリループ部」)がamuse(Perfumeが所属する芸能事務所です)のお偉方に「キャッチーじゃない」と問題にされたとき、単身amuseに乗り込んで、その意図を説明したそうだ。
その話合いの末に、CDの1曲目はオリジナルのバージョン。同時にポリループ部をカットしたバージョンをCDに収録することで折り合いをつけた、と。
結果、(もちろんその事だけが重要な要素だったわけではないけど)「ポリリズム」はPerfumeを代表するヒット曲となった。  

ちょっと本筋からは逸れてしまったかもだけど、
「思い」がキャッチボールできることが良い関係の大前提だということ。
一方的な「思い」は時に関係が上手くいかないだけではなく、関係そのもを破綻させる可能性も含んでいるということ。


もう一点、最近よく自分にも銘じていることなのだけれど、やっぱり
「技術や方法、手段、というのは、意思や想いを表現する為だけのものであるべき」ということ。
これが逆転してしまうことが非常によくある。

例えば、アマチュアからインディーズに上がっていきたいバンドによくありがちな事。
元々は「自分達の音楽を多くの人に聞いてもらいたい」と始めたライブ活動が、次第に
「動員を増やすこと」「物販を売ること」に追われてしまい、ライブをこなすこと、チケットを売ることが目的になってしまうこと。

例えば、僕自身の事で言えば、元々は「自分が楽器によって感じた喜びを、たくさんの人に感じて欲しい」(←青臭いけどね・・)と就職した楽器屋の仕事が、次第に「目標を達成すること」(←会社員としては一番大事だけどね)や、さらには「上司に怒られないで上手くやること」が目的になってしまうこと。

一言で言えば本末転倒ということだろう。

そうじゃないんだ。
自分達の音楽を沢山の人に聞いてもらって→動員が増える んだ。
楽器の感動をお客さんに伝えることで→目標が達成される んだ。

ライブにおいてもそうだろう。
元々はアーティストのパフォーマンスに対して感動したその心を歓声や拍手に代えていた筈なのに、次第に声援を送ること自体が目的になる。
パフォーマンスに対してのレスポンスとしてではなく、自分の快楽の為に奇声を上げる。ヲタ芸をする。モッシュをする。

もちろんアーティスト本人を目前にしてテンションが上がり過ぎて、変な声上げちゃったり、変な動きしちゃったりする人もると思う。
それはいい。一つのレスポンスの形だと思う。

だが、開演前によく周りで聞かれる会話を聞いていると、「今日はどんな感じで暴れようかな」とか「前の客全部剥がしますよ」とか得意げに仲間に話している様子を見ると、皆さん、本末転倒になっている方々が多すぎるんじゃないかと思う。


ここに僕がこんなことを書いて、そういう行為をしている人が見てくれるのかは分からない。
でも、やはり言わずにはいられなかった。

自分の表現や満足の為にライブの客席から一方的な行為をするのは、やはりアーティストとの関係としては程度が低いとしか思えないのだ。
それでも、そういう行為自体が好きという方は、自分で体育館でもライブハウスでも借り切って好きな仲間を集めて思う存分やれば良いと思う。これは皮肉でもなく本気で。
ただ自分自身の騒ぎたい気持ちを、アーティストやアイドルをダシに使って発散させるのだけは心底やめて頂きたい。切に願う。


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9/9は「9nineの日」
という事で、渋谷BOXXの9nineワンマンライブに行ってきました。

MCを削ぎ落として持ち曲のほぼ全てを演るという、タフなライブスタイルに本気を感じます。
夏休みはずっとこのライブのリハだったとメンバーが語っているように、
素人目に見ても個々のダンスの切れ、観客への眼差しが素晴らしかったです。
むずかしい振りも、フォーメーションも、メンバー全員が意識を高く持ってこなしているのが伝わってきました。

やっぱり、ちゃあぽんは歌巧かったですし、目が合って笑いかけると本当に嬉しそうな顔をしてくれるので、おじさんドキドキしました。
自分のポジションに山岡みどりちゃんがよく来てくれたので、必然的に観ていたんですが、予想以上にダンスの切れが良くて驚きました。そして、超がつくほどの美人。
腐女子」「マンガヲタ」というイメージがあったので(失礼)・・・そのギャップにひたすら感動していました。

こまかく挙げれば切りがないけど、メンバー全員本当に魅力的で、もっと長い時間観ていたかったですね。

曲もどれも良かったですが、個人的には
「awake」「メリーゴーランド」「MONSTER」「Cherry」「sky」「絆」「Sweet Snow」「show TIME」が良かったです。←多いか。

近くにバックステージパスを持った、明らかにメンバーのご家族風の一団がいたのですが、圧縮や、ヲタ臭さに負けず、3列目辺りをキープしている姿に家族愛を感じました。

また箱ライブを是非に観たいです。